私が忘れても、神様が呼び、待ってくださっています

いよいよ、インターナショナルチャペルで毎年メッセージされるようになった「迫害下にある教会のための国際祈祷日」が近くなりました。個人的に、近くなってきたから、このために祈ることをより真剣に考えるようになった気がします。

1年に1日を特別に扱うと、残りの364日の間も思い出しやすくなるかもしれません。クリスマスや復活祭について同じことが言えるでしょう。ただ、同時に、残りの364日の間、忘れてしまいますね。

もちろん、創造主の父なる神様が賜る救いと愛の関係の強さにより(イザヤ51:6)、祈ることを忘れても神の子とされていることに変わりがありません。しかし、父なる神様が待っておられます!

私たちのような普通な人を御子イエス・キリストへの信仰により子どもとしてくださり(ヨハネ1:12)、私たちの思い、悩み、悲しみ、楽しみ、望みの全てについて祈るのを待っておられます(ピリピ4:6)。

迫害下の教会、また、近所の方、家族、同僚、同級生、政治的指導者、霊的指導者、それから自分のために祈ることを天のお父様なる神様が待っておられます。「忘れた」という弱さを認め(第2コリント12:9)、「他のことを神様より大切にした」という罪も告白して、神様がなおも待ってくださっていると信じます(第1ヨハネ1:9)。そして、聖霊なる神様に頼りながら祈りたいと思います(ローマ8:14-16、26-27)。三位一体なる神様が読んでくださっています。私たちがこたえたいと思いますように。