ICMについて

ICMのビジョン

キリストの愛で交わり、

キリストの弟子となり、

キリストの福音を携え、

キリストの教会(からだ)を拡げる。

———すべては神の栄光のために

 インターナショナルチャペルとは?

インターナショナル・チャペル・ミニストリーズ(以下ICM)は、1981年、ジム&バーバラ・ブロックソム夫妻によって創設された、聖書を信じ、教えている保守的な福音主義のプロテスタント教会です。

ICMは生駒市と京田辺市に教会を持ち、現在2人の牧師が奉仕にあたっています。2010年にジム・ブロックソムはICM主任牧師を引退後、名誉牧師として牧会を助けています。

日曜日には、礼拝の音楽とメッセージを全て英語と日本語のバイリンガルで行い、礼拝前には、ネイティブスピーカーによる英会話クラスも行っています。

国籍に関係なく日本在住の人々にイエス・キリストの信仰による救いのメッセージを伝え、キリストの弟子となるよう訓練することを目的としています。ICMでは、神様からの特別な賜物が全てのクリスチャンに与えられていると信じており、教会において成長しその賜物を用いていくことを願っています。また、バイリンガル教育(KIU/KIUアカデミー)に取り組んでいます。

インターナショナルチャペルの歴史

1981年 インターナショナル・チャペル・ミニストリーズ(ICM)設立/京都インターナショナルチャペル開始

1982年 奈良県で生駒インターナショナルチャペル開始

1989年 大阪府守口市で守口インターナショナルチャペル開始(2008年6月閉鎖)

1994年 ICM出版設立

2000年 大阪府大東市で住道インターナショナルチャペル開始(2002年閉鎖)

2008年 奈良県において宗教法人認可

2010年 ジム・ブロックソムがICM主任牧師を引退。

クリス・モモセがICM(日本)の主任牧師、スティーブ・ローラーがICM(アメリカ)の新ディレクターに就任

ICMの信仰信条

私たちは次のような信仰をもっています。

    1. 旧約聖書および新約聖書の御言葉は神の霊感によって書かれており、原典には何の誤りもないこと、また、聖書が人類の救いに関する御心の完全な啓示であり、すべてのクリスチャンの信仰と人生について神から示された最終的なよりどころであることを信じる。
    2. 唯一の神、すべての存在の創造主、限りなく完全な方、父、子、聖霊の三位一体として永遠に存在しておられる方を信じる。
    3. イエス・キリストが正真正銘の神であると同時に正真正銘の人間でもあること、聖霊によって身ごもり、処女マリヤから生まれたことを信じる。イエスは御言葉のとおり、私たちの罪の身代わりとなって十字架上で死んでくださり、その後、再び肉体をとって死からよみがえり、天へと昇り、いと高き天の父なる神の右に着座され、今、大祭司となって私たちのためにとりなしをしてくださっていることを信じる。
    4. 聖霊の働きは、主イエス・キリストに栄光を帰することであり、この時代にあっては、人に罪を認めさせ、信者となった罪人を新しく生まれ変わらせ、その内に宿り、導き、教え、また神を敬う生活と奉仕を行うことができるように御霊の実、賜物と力を与えてくださることだと信じる。
    5. 人は神の姿に創造されたこと、しかし罪に陥ってしまったために破滅への道を歩んでいること、聖霊による新生以外に救いと霊的ないのちを得る方法はないことを信じる。
    6. すべての信者を義とし、救いを得させる根拠はイエス・キリストの流された血とその復活だけであること、そのようにイエス・キリストを受け入れる者だけが聖霊によって新しく生まれ、神の子どもとなることができることを信じる。
    7. バプテスマ(浸水式バプテスマ)と聖餐式は、教会が守るべき儀式であると信じる。しかし、これらの儀式は救いを受けるための手段ではない。
    8. 真の教会(キリストのからだ)を構成するのは、イエス・キリストに対する救いの信仰を通して聖霊によって新生し、キリストを頭とするからだにつなぎ合わされた人々であると信じる
    9. 真の教会(キリストのからだ)をこのように構成している者だけが地域教会の教会員となることができると信じる。
    10. イエス・キリストは主であり、教会の頭であること、そしてどの地域教会にもキリストにあって教会内の事項を決定し、管理する権利があることを信じる。
    11. イエス・キリストが再び来られること(再臨)を信じる。この「祝福された望み」は、信者の日々の生活と奉仕にきわめて大きな影響を与えることを信じる。
    12. 死者が肉体をとって復活することを信じる。そのとき信者は、永遠の祝福と主と共にいる喜びに入り、一方で不信者は、裁きと永遠の苦しみの刑罰に入ることを信じる。